布絵本と布おもちゃの部屋
母の姉の夫にあたる伯父は91歳。
7年前に伯母に先立たれ、子どももいなくて、山口で一人暮らししてます。
この伯父が、まー元気で達者でしっかりしていて、コロナが明けてからというもの、結構1人で寺や仏像を見に、遠方に足を伸ばしているんです。
山口に帰った時はいつもいとこと伯父と3人で夜ご飯を食べるのが常なんですけど、その時ふと伯父が「たくさんで食べるとご飯が美味しい」と嬉しそうに言ったんです。
伯父は結構淡々としてて、「1人でも全然平気」という感覚の人だと思ってたので、少し驚いたのを覚えてます。
考えたら91歳まで生きると、友達も少しずついなくなっていき、叔父の場合直径の家族がいないので、日々1人で動くことが多いわけです。
その分91歳だからということで規制されたりすることなく、ガンガン遠方に宿泊旅行なんかも誰にも止められることなく行けちゃうわけだけど。
夏に山口で会った時も旅行の話をいっぱい聞いて、写真も見せてもらって、豪華な旅館や豪華な食事に「おー、いいねえ」というと、「大きな部屋に1人で食べるのが嫌なんだよ」って言ってました。
「じゃあ、食事は一緒に食べよう!」ってなわけで、彦根の会食が決まりました。実に楽しそうで、「たくさんで食べると、ご飯がこんなに美味しいんだね」と言ってました。
「じゃあ、今度はみんなで奈良あたりに泊まる?」ってことに!
親を見送ったり親の老いを実感したり、自分自身もシニアの域に入ってくると今まで1人を楽しめてたことが、だんだんそれだけではダメかもなあという気持ちも生まれてきてます。
大学の親友5人組と会うたび、それぞれ「いつかみんなで、居場所作りのための何かができたらいいねえ」とそんな夢を語ってます。(あ、私たちは福祉出身なもので)
昨日と一昨日と、朝早く最寄りの駅の階段下に高校生数人が募金箱を持って立っていました。
「あしながさんだわ」
あしなが育英会は、親を亡くしたお子さんたちの支援団体です。私はあしながさんの募金を見つけると、必ず募金しようと決めてます。
一昨日はとても寒い朝で、学生服を着た男の子たちが縮こまるように体を丸めて「募金してくれる人はいないだろうなあ」という佇まいで 並んで立っていました。
自分たちの未来を担ってるその募金箱に、お金だけじゃなくて「大丈夫だよ、応援してるよ」というメッセージも一緒に託す。男の子たちは嬉しそうに「ありがとうございました」と大きな声で言ってくれました。
ちょっと話はズレるんですけど、子育ても、ママには「ヘルプじゃなくてシェアだから」と言ってます。助けるより、分け合う。「言葉のあや」かもしれないけれど、助けてもらってると思うより、分け合ってるんだ、社会全体そんな気持ちになった方が、不合理に偏って担ってる人の負担が減っていくんじゃないか、と思うんです。
再び私の大好きなカートヴォネガットの本から(前も書いたけど)
「ぼくたちが生きてるのは、みんなで助け合って今を乗り切るためなんですよ。今がどんなものであろうと関係ないんです。」カート・ヴォネガット『国のない男』
『スラップステック』ーまたはもう孤独じゃない! カート・ヴォネガット