布絵本と布おもちゃの部屋
親友の職場でたまった愚痴を聞きに、京都に集合。
御所近くでランチをして、しばらくこの辺りをぶらぶらしようということになりました。
まずは烏丸通を歩く。そして護王神社の壁の絵本に捕まる。
和気清麻呂、教科書で載ってたけど、誰だっけ?鎌倉時代?あー清麻呂のお姉さん、あの時代に孤児院作って身寄りのない子どもだちを育ててたんだー。
と、福祉出身の私たちは軽く心打たれる。道鏡、いたいた、あいつ悪いねんなあ、とか言いながら境内に入る。
境内は七五三の可愛い稚児ちゃんたちで、おばあちゃんである私たちは軽く微笑む。
菅原天満神社を横目で見て、あー、ここで菅原道真公は生まれたのかー、と言いながらブラブラ、そして御所に。
御所には可愛い花がついた木があって、「ん?桜?あったかいから咲いちゃった?」と近づく。名前が書いてあるかなと思ったけどなかったので、Google検索でさがしてみました。出てきたー!おおお、十月桜かあ。(写真を撮ってるのは友)
再びブラブラしてたら、御所の中の神社に。
友と出会ったのは御所の隣の同志社大学で、学生の時よくここを通ったのに全然知らなかったよねえ、と話しながら近くのトイレに。
掃除のゆき届いたとても綺麗なトイレでした。
友が「そいうえば、この辺りですごく可愛いカフェ、見つけたんや!そこへ行こう」
私は羊のケーキを食べました。隣に座っていた海外の方が、自分の食べられた柿のケーキが美味しかったと、精一杯の日本語で、「おすすめ!」と言って立ち去れてました。
ココチカフェを出て再びブラブラしていると、通りに出てたワゴンに友が立ち止まって見始めたので、私も一緒に見てるとエチオピアコーヒーが目に止まりました。
お店の方が出てきてそのコーヒー豆の由来を教えてくださって、とにかくエチオピアの飢餓支援と選ばれた豆、というちょっと曖昧なキーワードで買ってしまいました。
帰ってよく見たら「アンドロメダエチオピアコーヒー」って書いてあって、ピアノサウンドを聴いて焙煎されたコーヒー。
色々ググったら、ちょっとスピリチャルな匂いがする。うーーん、スピリチャル、ちょっと苦手なんですけど、美味しかったらいいや。
また違いを感じたら報告します。
そんなこんなで、地下鉄で京都駅へ。
久しくデパートに行ってないという友と、上の階から伊勢丹を堪能。ああ、昔母とよく来たなあと、ちょっとセンチメンタルになりながら、私はよーじやのゆずの香りのハンドクリームとリップを買いました。
私は琵琶湖線へ、友は逆向きの京都線で、お別れ。
紅葉はまだだったけど、楽しい京都散策の一日でした。
膝丈あたりのスカートをことごとくリユースショップに出しました。
二年前くらいは着てたんだけど、何故か60代に乗った途端、これはないよなあと気持ちが先行する。
この二年の間で、容姿も運動能力もそれほど変化があったわけではないけれど、気持ちが「違うんじゃない?」ってストッパーをかける。
髪型もそうです。もうロングじゃないよなあ。
まあ、年々暑くなってきたのも大きな理由で、結局今年の夏はショートにして大正解だったんですけど。
そこで、この洋服。ちょっとわかりづらいですけど、左がリフォーム前。
一段あったフリルを取りました。
あ、もちろんこれだけでワンピースとして着ていたわけではなく下にパンツをはいていたんだけど、このフリフリは、違うなあ、と思ってちょっと乱暴ですけど、ハサミで切り落としました。
他にもフリルを切り落としたワンピース、ありますね。
他の人の目が気になるわけではないんです。
でもなんでだろう。年齢が勝手に自分に制限をかけちゃうだよなあ。
デジタル朝日新聞を読んでます。
デジタルにして、よく読むようになりました。というのも、メールで興味深いトピックを送ってきて、そこにアクセスするとすぐ読める、というのが私には合ってる。
昨日興味を引いたトピックは
親にしばられる宗教2世の苦悩 根っこに家族教
信田さよこさんの記事。この方の著書に「家族と国家は共謀する」っていうのタイトル、とても興味深い。
射殺されたクマの胃にあったのは 出没なくなったちくから見える課題
富山での試み。クマは山に食料がなくなり、里に柿の木を食べにやってくることがわかって、柿の木の伐採に三年前から取り組んでいるって書いてあったんですけど、面白かったのが、高齢の家庭では、柿を管理できずにいるという実態から、障がいのある利用者さんによって収穫を肩代わりする一石二鳥のアイディアの活動。
世帯収入半減「子ども夢追えない」妻が過労死、遺族年金受け取れず
遺族補償年金の受給要件として妻は年齢を問わないのに、夫は55歳以上と制限している労働者災害補償保険法の規定の話。知らなかった。
24歳になりすました女 架空の人物の戸籍は作れてしまうのか
ただ単に70代の女性が若いことでいろんな条件が広がり、若くなりたかったというだけで起こした事件で40代の戸籍を取ったという話。それが作れてしまったという嘘みたいな、行政にはそういう隙間があるって話。
ともに芸術を愛た妻を変えた「老い」元大学教授が手にしたロープ
妻の認知症の介護に疲れた70代の夫の事件。仲の良かった夫婦の老いの生活の中で何が起こっていたか、どうしたら防げたか、っていう話。
そして私が一番心に響いたのが、
親に黙って家族の弁当を取りに...埼玉条例あんで考えた「にげてさがして」
三年生以下の子どもだけの登下校や公園遊び留守番を禁ずる条例案、結局撤回される事案になりましたけど、そこには親の意見が中心で子どもの視点があまり報道されてませんでした。その中で子ども食堂に親に黙ってきている子どもがいるという話。子どもたちは親の分まで持って帰るらしい。自分が子どもの食事の用意ができない状態であっても周囲にそれを知られたくないという親もいて、そんな家から飛び出して、親の分まで周囲に助けを求められる子どもの力はすごい、と書いてありました。
子どもの気持ちを全く忘れてました。
で、その記事の最後の言葉に涙が出てしまった。ヨシタケシンスケさんの「のげてさがして」の一節。
「きみのあしにはやくめがある。それは『きみをまもってくれるひと』『きみをわかってくれるひと』をさがして、そのひとのところへいくため、だ」
うちのベランダから見える工事現場には大掛かりな工事なので、結構魅力的な重機がやってきます。
眺めていると、結構楽しい。
いや、めちゃ楽しい。めちゃ魅力的。
私のお気に入りは、三つ子のショベルカー。ちゃんと人が動かしているのも見えてるのに、重機が生命を持ってるように見えてしまう。
可愛い。
この光景を見てると、かなり前に双子の孫に買ってやった『おやすみ はたらくくるまたち』の絵本を思い出すんです。
夕暮れになって動きが止まると、これから寝るんだなあって擬人化してしまう。
どことなく切ない。
そんな命を持ったように見える重機たちの小さいやつを、手元に持ちたいっていう気持ち、すごくわかるなあ。
そして自分で動かして命を吹き込ませたいっていう気持ち、すごくわかるなあ。
テレビで「おちゃらか ほい」をやってて、ああ、自分も小さい時やってたなあ、と懐かしく思い出しました。
で、ふと「おちゃらか」ってどういう意味?って思ったんです。
最近は、もうなんでもネットで調べられますからね、早速ググる。
ググってびつくり。主に女の子たちが無邪気に遊んでいた遊び歌の意味がこうだったなんて!!!衝撃。
遊女を旦那衆が買うという手遊び歌だった。
「かった」は「勝った」じゃなくって「買った」という意味らしい。
重いわ。なんかもう楽しめないわー。
「せっせっせーのよいよいよい」の意味もなかなかです。
昔あそびは歴史を抱えてて、なかなか興味深いなあ。
そして、今日聞いてるのは、真逆の明るいポップス。
Jukebox The Ghostの アルバム「Cheers」
最近はアメリカの突き抜けたような、気持ちのいいくらいのポップなミュージックが好きなんです。