布絵本と布おもちゃの部屋
ちょっと戸棚を整理すると、見覚えのある懐かしい字が見えました。
母方の祖母の家を人に譲る時整理して出てきた父がひいじいちゃんに宛てた年賀状です。
切手もまだ7円の時代。まだひいじいちゃんが生きてたってことは、私は小学生になってないくらい。
まだみんな生きていたんだなあ。
私が初めて身近な人の死を経験したのは、このひいじいちゃんからでした。
この後、何度この辛い思いをしなくちゃいけないんだろう、と幼い心にそう思って、大袈裟にいうと生きる辛さを知った時だったと思います。
自分が一番早く死んだらこの辛さを知らなくて済む、って思ったことを今でも覚えてます。
でも、譲葉のように順番に死を見送ることこそ穏やかな人生だということを歳を重ねて知り、そうやって90歳まで生きた父を父の文字を見ながら慕んでます。
父は字が独特で、まあ、単純にいうと下手くそだったから、高校の時郵便局で年賀状の住所の仕分けをしてた時、表書きで父だとわかったくらいです。
こんな昔の紙っきれが捨てられないんだなあ。
そこには、今の私を形作ってる何かが潜んでいるからなんだろうな。
ちなみにこの椅子は、そのひいじいちゃんが私に作ってくれた椅子。後ろの絵はそうめんの蓋の木で作ってうさぎのえを描いてくれたもの。
その上に座っているのは、祖母が認知症になってから大事にしていたお人形。
そしてお人形が持っているのは、ひいばあちゃん(ひいじいちゃんの連れ)の織った布で叔母が作った小物入れ。
昨日は成人式のところも多く、ニュースでも色々やってたんですけど、その中に北九州の成人式の服装の話題が取り上げられてました。
北九州の成人式の衣装は派手というより、イメージとしてはヤンチャな感じで、近年問題視するニュースが多く出てた記憶があります。
まあ、素行の問題もあったのだろうと思うけど、まあ、私たち世代からしたらちょっと好感が持てない感じ。単純に書けば、不良を連想させる。
一言で言うと、いかつい。私はいかついのが苦手なので、息子がこの格好をすると言い出したら、反対はしないけど、「あー、母さんは苦手やわ」と言うと思う。
その衣装が去年、ニューヨークで評価された、と言うニュースを去年見ました。ニューヨークファッションウィークに招待されたんですよね。
「古典的な着物に現代の要素が加わって革新的だ」
若い人のニーズに応え続けたレンタル衣装屋さんの「みやび」もすごい。
お正月、テレビでいろんな若い人の挑戦を見ました。
京都の出町柳で新しいスタイルの蕎麦屋さんを経営する20代の元ギャルの女性。
北斎を尊敬する朝5時に起きて北斎の絵を模写する中学生。
腐敗し切った政治の世界のお爺さんたちにがっかりしている場合じゃない!
大丈夫。若い感性や力を信じて応援していけば、日本の未来はきっと明るい!
毎年、少しずつ年賀状が減ってきてますね。年賀状じまいの連絡なんかもきます。
何度か、もういいかなって思ったことはあるんですけど、なんとなく続けてます。
昔に比べたら随分楽になったし、おせちももう作らず買ったりしてるし、年末昔ほどは忙しくないし。
そしたら今年の年賀状、結構「お!」っていうのがありました。
まず、なぜか中高で通った英語塾の先生と30年以上年賀状交換が続いていて、苗字も変わってるし先生、もしかしたら私ってわかってないんじゃないかという内容の時もあったし、5年前お店ですれ違った時、声もかけられなかったくらいの距離の先生なんですけど、なんとなんと、今でも現役で塾の先生をされることが判明。
おっどろきました!それに息子さんプロレスラーじゃん。。。
大学の時京都に来たついでに、ということで晩御飯ご馳走になった時「息子がプロレスラーになりたいって行ってるんだよねえ」っておっしゃてったけど!
https://www.c-able.ne.jp/~aratak/
そして、若い時の職場の上司の方の年賀状。
なんとお孫さん、舞妓さんになったらしい。
おおおおお。
この距離の方々とは、多分SNSでは繋がらないと思います。
やっぱ年賀状はやめられないわー。
昨日の朝、もっとだらだらしようかなあと思ったけれど、いやいや、齢61、これからの人生の進め方としてやりたいことを成し遂げなきゃと頑張って8時には起きる。
で、だらだら朝ごはんを食べ、コーヒーだけはこだわって入れて、テレビをつける。
お正月テレビは全然面白くなくって、でもボッチなもんで、ご飯どき音がないのも寂しいなあと、Eテレで魚くんの番組をつけ、高音の魚くんの声を聞きながらのブレックファースト。三が日だけど、完全に洋食。
また寝ちゃおうかな、寝正月っていうのもありだよな、って思いながら、いやいや一年の計は元旦にあり(3日だったけど)だよな、しゃんとしよう、と思い立ったのが、なんと『歎異抄』を学ぼう、ということでした。
年末のNHKの番組で解説をやっててプチかじりし、よく無人島に持って行くならこの本だって聞くし、なんてったって、うち(実家)は浄土真宗だし。そういえば、ばーちゃん写経してたよなあ。何を信じてどんな思いでしてたんだろう。後で聞いた話なんですけど、このおばあちゃん、檀家のお寺が燃えた時、当分の間お坊さんたちの面倒を見てあげて、いまだに感謝されてるって。
便利な世の中で、東本願寺のYouTubeサイトにとてもわかりやすい講座を見つけました!10回シリーズのまず1回目を受講。1時半くらい。
おお、知らなかった!歎異抄の歎は歎く、異は異なる、抄。親鸞の教えが間違って(つまり異なる)広まってることを歎くっていう意味だった。
多分、あれですね、悪人正機説とか他力本願の意味とか、私もよくわかってない。あの辺りを実際に教えを請うた弟子である自分(唯円)が残さねば、って思い立ったのが60歳あたりだったらしい。
ここで自分の人生とリンクする。この年からあの大仕事をやり遂げ、それが今の人の心にも響く。おおおおお、しゃんとしよう、もっとしゃんとしよう。
そしてそれなりにしゃんとした3日を過ごした後、夜テレビをつけたら「博士ちゃん」という子どもが先生になっていろいろ教えてくれる番組の特番をやっていて、後半が北斎をこよなく愛する中学生の男の子が北斎の絵を求めてヨーロッパを旅する話でした。
で、この子、本当に本当に北斎が好きで、北斎になりたくて、毎日朝5時に起きて北斎の絵を模写しているんです。何年になるって言ったっけ。この旅行の時もやってた。
北斎に対しての分析も彼自身の言葉でちゃんと伝えていたし、絵もすごくすごくうまかった。ヨーロッパでスケッチしてたんだけど、道ゆく人がみんな立ち止まって声をかけてた。
4歳の時に北斎の絵に感銘を受けたんだっけ?
彼の才能は、夢を追いかける熱量と持続力だと思いました。感動したよ、ほんとに。
朝は60歳の頃の唯円に教えられ、夜は中学2年生の北斎を愛する龍之介くんに教えられ、夜は睡眠は大事、と大谷翔平に教えられ、珍しく11時に就寝。珍しく本を読みながら寝ると、すぐに寝れました。
やっぱ本だわ、今年は。