布絵本と布おもちゃの部屋
お刺身のテイクアウトのお店ができたということで、隣の駅の草津に行くことにしました。
いつも駅前で買い物を済ましてしまっていたので、ちょっと奥に入るのは久しぶりで、いい天気だったからブラブラ歩いてみました。ちょうどお昼時だったので、美味しいコーヒーの店がないかなあと思って。
ちょうど商店街の企画で、ハロウィンのスタンプラリーをやっていて、そこいらじゅう仮装した人だらけ。商店街のおじさんもピカチュウの被り物をしてるし、若い子は漫画のコスプレしてるし、子どもは流行りのキャラクターの格好をしている。
なんか、楽しくなった。
ブラブラ歩いてると、かつて草津川があったところが天井川になっていて、そこから賑やかな音が流れてきたので誘われるように階段を上がると、地元アイドルのプチ野外コンサートが開かれてました。
アイドルの追っかけさんたちがアイドルを囲んで盛り上がってる。俗にいう、オタクさんですね。
私はオタクのオタク、とまではいかないけれど、オタクさんに惹かれるところがあります。
周りにはいろんなコスプレをした子どもや若者で溢れ、食べ物屋さんのキッチンカーや手作りの露天なんかで賑わっている空間。
中堅都市のハロウィンは実に平和的で、そこその自由度が心地いいなあと思いました。
あまりに奇抜だと、そこについていかなきゃっていう逆の不自由さがを感じたりするけど、いい意味でありきたり。平和だなあ。
その雑踏の中では、そっとその場所にいて楽しむことができる、そんな気持ちがしました。
孤独で居場所を見つけられない人も、この場所はほっといてくれるけど1人じゃない感じがする。
この仮装パーティのおかげで、どんな身なりでも紛れたり溶け込めちゃう気がする。
そんなハロゥイン前の休日でした。
読売Yahooの記事で、トゥレット症に苦しむ青年の話が載ってました。
トゥレット症とは、意志に反して突然声を出したりする精神疾患です。
数年前からこの症状はチックとして認識していたんですけど、今日読んだのは卑猥な言葉が止まらない「汚言症」
学生の時、明徳館という建物の地下にあった学食はサークルの溜まり場で、そこにいつも指定席のように座っている男性がいました。
留年して8年生という噂で、他の学生よりちょっと年上に見えたかな。称してM地下の主。
彼がよく、突然叫ぶわけです。
その時トゥレット症のことを知らなかった私たちは、彼を「きっと哲学者なんだろう」と話してました。
もちろん彼とは普通によく話もしてましたし、別段突然の雄叫びを怖いとも思わなかったんだけど、勝手に、色々と考えすぎて突然叫びたくなるのだろう、と思い込んでしまった。今考えると、トゥレット症の方だったんだなあと思います。すごい思い込みだ。
今までの認識では、突然意図しない動きをしてしまう、というところまではわかっていたんですけど、汚言症という症状は知らなかったです。
言ってはいけない、と思う意識が逆に出てしまう。「うんこ」とか「死ね」とかあと性的表現とか。
苦しかっただろうなあ。記事を読むと、本当に苦しかった日々が綴られてました。
もしかしたら日常でその言葉を発してる人がいたら、トゥレットと思わず、危険な人って思ってたかもしれない。
知らないことが多すぎるんだけど、ある時何かで知って、ああ、あの時の、って繋がる。
この日記、読んでる方は少ないと思うけど、1人でも「ああ、あの時の。そしてこれからは」って思ってもらえたら幸いです。
記事の載っていた青年は、1人でも多くの人にこの病気を知ってもらえたら、ってことで、ゲーム実況の配信を始めて、タイミング見計らって、自らの症状を説明するようにしている、って書いてありました。
「同じ病気で悩んでいる人へのエールになる」という期待を込めて。(読売新聞・Yahoo!ニュースより)
前から可愛いメジャーが欲しいと思ってました。
今メインで使ってるのが百均で買ったクマさん。悪くなはいんですけどね、使い心地も。
あと持ってるのは1mだったり(2mのが欲しい)表がセンチ裏がインチで裏返った時イライラするので使いづらかったり、双子が遊んで壊しちゃったり。
ネットで探して狙ってたのが、クマの学校キャラのメジャー。
昨日手芸屋さんに布を買いに行った時に、あったあった、クマの学校のメジャー。
おまけにこの日は20%割引。背中を押した。買っちゃえ!
で、その横にクマの学校の鋏が!今度はどこを押されたのか。。。カゴに入れてしまった。
ハサミとの相性があまり良くなくって、よく使ってたハサミが切れなくなってハサミ専用の研ぎの道具を買ったんですけど、それで研いだらなんかガタガタになっちゃって(使い方が悪かったんだとは思います)ダメにして、次に買ったのが左利きも大丈夫的なハサミで、でもなぜか左で切ると引っかかるハサミで、結局今まで左利き用じゃなくても左手で難なく使えてたので、次に買ったのは普通に切れるハサミ。
しかし!これが切れすぎるっていうか、先が尖りすぎてて布を半分に折って切る時に先が布に引っかかる。
帯に短し襷に長し。
で、結局ずっと使っていたのが、息子が小学校の時家庭科の授業で買ったハサミ。それが水色の取っ手のやつ。グレイのハサミも現役で、これは紙を切るときに使ってます。
現役の水色のハサミ、ちょっと途中切りずらいところがあるのがずっと気になってたんですよね。
で、この際買っちゃえ!
可愛いものに囲まれて仕事するってテンション上がるんだよねー。なんてったって今日は20%オフで買えるんだし!
上機嫌でレジへ。
そして店員さんがサラッとおっしゃった。
「キャラクターものは割引の対象外ですけど、いいですか?」
「あ、そっすか。
あ、いいですいいです。
だって可愛いんだもん」
晩年の父が認知症になって、父のそばにいた時痛切に感じたのは、不要になったと本人が感じる悲しさでした。
「とーさんといると楽しいよ」と言うと、涙を浮かべて「そーかい。嬉しいのう。そんなことを言ってくれる人は誰もおらんからのう」と言ってました。
お世話されるだけで生きている自分がもどかしかったんだと思います。
人はやはり一方的な矢印だけでは生きていけない。
最近、9月に頑張ったせいか、コロナの後遺症か、季節の変わり目のせいか、なんかだるいしやる気が出ないしで、うつうつとした日々を過ごしてました。
サイテー限の仕事や家のことはしていたけれど、なんか積極的な創造の日々ではなく。
私にとって何かを創らない日は罪悪感で焦る、負のスパイラルにはまっていく日々。
そこをどう抜け出そうか、、、と思った時、「もう一つ支援を増やそう!」と決意。本当に少額なんですけど。
今、月額の寄付をしているのが、プランインターナショナル。世界の女性の人間らしい生活を応援するための寄付です。
そして増やしたのが、「グットごはん」ひとり親家庭にご飯の贈り物を、という寄付。
アジアに絵本をおくるというのも候補にあったんですけど、「ご飯はだいじ」特にお子さんたちのご飯は大事、だと思ったので。
もっと頑張れたら、次はここへの支援をしよう。
支援を受けてる方々が活躍できる世界になればいいなあ。
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私の敬愛するカートヴォネガットの「国のない男」にこんな文章がありました。
「人生ってなんだ?」
わたしは人生に関するこの大きな問題を、小児科医の息子に尋ねてみた。するとドクター・ヴォネガットの老いぼれの父に対する答えはこうだった。
「父さん、ぼくたちが生きているのは、みんな助け合っていまを乗り切るためなんですよ。いまどんなものであろうと関係ないんです」(金原瑞人訳)