布絵本と布おもちゃの部屋
昨日の日記で、ふと村中李衣さんを思い出し、ググって驚いた。
読み合うことを、今女子刑務所でされいるんです。美祢だ、おばあちゃんちのあるとこ。そういえな村中さんは山口の方だった。
美祢市社会復帰促進センターとは、日本初の半官半民の刑務所だそうです。俗に民間刑務所と呼ばれてるらしい。
そこで、絆プロジェクトとして「女性受刑者と我が子を繋ぐ絵本の読み合い」をされてるそうです。本が出たのが2021年、その時に12年間と書かれているので、2024年現在では15年になるってことですよね。
そこでは自分たちの子どもに絵本を読んで録音して送る、その読み方を受刑者同士励まし合いながらディスカッションしていくというプロジェクト。
いろんな形の繋がり方。
目から鱗。
お正月に「歎異抄」を知りたいと、YouTubeで講座を5つまで聞いて、今はその後の残り5を待っている状態。
まだ、理解してません。他力本願の真意。でもぼんやりなんとなく前と違った認識には至っている、というレベル。
歎異抄を知りたいと思ったひとつの理由は、祖母が信じていた宗教で写経をしていた記憶があって、祖母への懐古の旅に近いです。
うううん、まだ理解できん、と探り探りのうち、いろんな情報が出てくるわけです。
司馬遼太郎が離島に持って行くとしたら歎異抄だとか。なんでだろう、って思って買ったのが古本ですけど、『司馬遼太郎と宗教』週刊朝日MOOK2017年12月10日発行。
そしたらいろんな宗教が登場してくる。そして果敢に「生きること、そして死ぬこと」に挑むお坊さんたちに出会いました。
法然、親鸞、蓮如、空海、道元、覚鑁、諸々。そして宗教を支えてきた人々。
途方もない問いに、生涯をかけて命懸けて向かい合ったお坊さんたち、っていうか哲学者。
それがいいか悪いか形式化されて、今の宗教の元になったりするんですけど、その元になった人たちの壮絶なる人生に背筋が伸びる。
だからと言って、お念仏を唱えるという信心は持ち合わせないまま、祖母はどこまで信じていたのだろう、と考える。
苦労した人だと聞きました。優しい人だったとも聞いてます。
日々いろんな人に励まされているんですけど、昨日は画家の須田剋太。
司馬遼太郎の『街道を行く』の挿絵を描いていた方。
60歳くらいから、その仕事を始められたということでした。
絵の迫力もそうだし、須田さんの佇まいもそうだし、全てに圧倒されたて、背筋が伸びた感じ。
亡くなられてもう三十年。最近故人によく励まされる。
実は、絵本作家になりたかったんですよね。
そういうと、「布絵本の本が出たからほぼ達成ですよね」ってみんな言ってくださるんだけど。
昨日、『パンどろぼう』の絵本を見て、衝撃を受けてしまった。
なんて素晴らしい絵本なんだろう!可愛い可愛い可愛い。で、キャラを軽くスケッチしてて、目覚めてしまった。
「絵本作家になりたかったんだ!」
絵本作家になるっていうんじゃなくっても、一年にひとつ作品を描いてみるのはどうだろう。
30年前、講談社の絵本新人賞に応募したことがあるんです。
あれが多分5月末締め切りで毎年やってる。
また挑戦してみようかなあ。
構想はできた。なんとペンネームも考えた。
見事応募できたら、また報告します!