布絵本と布おもちゃの部屋
デジタル朝日新聞を読んでます。
デジタルにして、よく読むようになりました。というのも、メールで興味深いトピックを送ってきて、そこにアクセスするとすぐ読める、というのが私には合ってる。
昨日興味を引いたトピックは
親にしばられる宗教2世の苦悩 根っこに家族教
信田さよこさんの記事。この方の著書に「家族と国家は共謀する」っていうのタイトル、とても興味深い。
射殺されたクマの胃にあったのは 出没なくなったちくから見える課題
富山での試み。クマは山に食料がなくなり、里に柿の木を食べにやってくることがわかって、柿の木の伐採に三年前から取り組んでいるって書いてあったんですけど、面白かったのが、高齢の家庭では、柿を管理できずにいるという実態から、障がいのある利用者さんによって収穫を肩代わりする一石二鳥のアイディアの活動。
世帯収入半減「子ども夢追えない」妻が過労死、遺族年金受け取れず
遺族補償年金の受給要件として妻は年齢を問わないのに、夫は55歳以上と制限している労働者災害補償保険法の規定の話。知らなかった。
24歳になりすました女 架空の人物の戸籍は作れてしまうのか
ただ単に70代の女性が若いことでいろんな条件が広がり、若くなりたかったというだけで起こした事件で40代の戸籍を取ったという話。それが作れてしまったという嘘みたいな、行政にはそういう隙間があるって話。
ともに芸術を愛た妻を変えた「老い」元大学教授が手にしたロープ
妻の認知症の介護に疲れた70代の夫の事件。仲の良かった夫婦の老いの生活の中で何が起こっていたか、どうしたら防げたか、っていう話。
そして私が一番心に響いたのが、
親に黙って家族の弁当を取りに...埼玉条例あんで考えた「にげてさがして」
三年生以下の子どもだけの登下校や公園遊び留守番を禁ずる条例案、結局撤回される事案になりましたけど、そこには親の意見が中心で子どもの視点があまり報道されてませんでした。その中で子ども食堂に親に黙ってきている子どもがいるという話。子どもたちは親の分まで持って帰るらしい。自分が子どもの食事の用意ができない状態であっても周囲にそれを知られたくないという親もいて、そんな家から飛び出して、親の分まで周囲に助けを求められる子どもの力はすごい、と書いてありました。
子どもの気持ちを全く忘れてました。
で、その記事の最後の言葉に涙が出てしまった。ヨシタケシンスケさんの「のげてさがして」の一節。
「きみのあしにはやくめがある。それは『きみをまもってくれるひと』『きみをわかってくれるひと』をさがして、そのひとのところへいくため、だ」
うちのベランダから見える工事現場には大掛かりな工事なので、結構魅力的な重機がやってきます。
眺めていると、結構楽しい。
いや、めちゃ楽しい。めちゃ魅力的。
私のお気に入りは、三つ子のショベルカー。ちゃんと人が動かしているのも見えてるのに、重機が生命を持ってるように見えてしまう。
可愛い。
この光景を見てると、かなり前に双子の孫に買ってやった『おやすみ はたらくくるまたち』の絵本を思い出すんです。
夕暮れになって動きが止まると、これから寝るんだなあって擬人化してしまう。
どことなく切ない。
そんな命を持ったように見える重機たちの小さいやつを、手元に持ちたいっていう気持ち、すごくわかるなあ。
そして自分で動かして命を吹き込ませたいっていう気持ち、すごくわかるなあ。
テレビで「おちゃらか ほい」をやってて、ああ、自分も小さい時やってたなあ、と懐かしく思い出しました。
で、ふと「おちゃらか」ってどういう意味?って思ったんです。
最近は、もうなんでもネットで調べられますからね、早速ググる。
ググってびつくり。主に女の子たちが無邪気に遊んでいた遊び歌の意味がこうだったなんて!!!衝撃。
遊女を旦那衆が買うという手遊び歌だった。
「かった」は「勝った」じゃなくって「買った」という意味らしい。
重いわ。なんかもう楽しめないわー。
「せっせっせーのよいよいよい」の意味もなかなかです。
昔あそびは歴史を抱えてて、なかなか興味深いなあ。
そして、今日聞いてるのは、真逆の明るいポップス。
Jukebox The Ghostの アルバム「Cheers」
最近はアメリカの突き抜けたような、気持ちのいいくらいのポップなミュージックが好きなんです。
昨日(今日かな)の夜は寝ずらかったです。
2年間ずっと頭を悩ませてきた問題が、再び勃発。
内容は書けないほどゲスいので、書ける範囲で書いてみようと、試みてます。日記ですから。
怒りが止まらくなる状態のある遠くに住む親族からの電話(時には直接)に怯え続けた日々が二年前。今でも家電のベルの音はトラウマになってます。外で鳴っていても嫌な気持ちになる。
その時していたのが、モーニングノート。
朝の1時間くらいかけてA4のノート3枚に、今の気持ちを書きまくってました。
思いをボールペンでノートに吐き出す吐き出す吐き出す。
恐怖というより、なぜ自分にこんなことが起きてしまったのが混乱していて、日記の内容は、幼少期に遡ってその理由を探す旅のようでした。疑問と分析。半年以上続いたノートは、8冊くらいになってたと思います。
その行為は、いろんなことを思い出した不思議な時間でした。懐かしくて泣きながら書いた日もありました。
一番思い出したのは、父方のおばあちゃんだったかもしれないです。
気が付かなかったけれど、実に私によく似た人だったんだなあと、それを60年経った今、やっと誇りに思えるようになった。
うちは表向きは普通の家族だったんですけど、ノートを書き続けていると、いろんなことを抱えてたんだと思いました。
まあ、特別のことはなくその時代によくある問題だったんですけど。
一旦、その相手の怒りが収まるようにいろんなことを譲与して、去年の夏終息したと思ってたんだけど甘かった。
根本的なその相手の抱えてる闇は存在し続けていて、何かに結びつけてまた攻撃してくる。
昨日は全く無防備で、ボティに強いアッパーカット。
多分ターゲットに私も入ったのかなあ。
あー、今夜は寝れないわー、と諦めて陽気な韓ドラをiPadで流す。
ただ、2年後の今の私は、前とはちょっと違うことに気がつきました。
メンタルはかなりやられたんですけど、割と冷静。俯瞰的。そして考える、分析と対策。
あの苦しんで書いて書いて書きまくった日々が、教えてくれてる気がします。
ちょっと、強くなった、というより合理的になった、って感じです、かね。