布絵本と布おもちゃの部屋
テレビで「おちゃらか ほい」をやってて、ああ、自分も小さい時やってたなあ、と懐かしく思い出しました。
で、ふと「おちゃらか」ってどういう意味?って思ったんです。
最近は、もうなんでもネットで調べられますからね、早速ググる。
ググってびつくり。主に女の子たちが無邪気に遊んでいた遊び歌の意味がこうだったなんて!!!衝撃。
遊女を旦那衆が買うという手遊び歌だった。
「かった」は「勝った」じゃなくって「買った」という意味らしい。
重いわ。なんかもう楽しめないわー。
「せっせっせーのよいよいよい」の意味もなかなかです。
昔あそびは歴史を抱えてて、なかなか興味深いなあ。
そして、今日聞いてるのは、真逆の明るいポップス。
Jukebox The Ghostの アルバム「Cheers」
最近はアメリカの突き抜けたような、気持ちのいいくらいのポップなミュージックが好きなんです。
ステッチの話です。
万年カレンダーを作っていて、日と月の札はフェルト2枚合わせています。
その2枚合わせるときのステッチをどうしようかと迷っていて、とりあえず「日にち」はブランケットステッチにしました。
ブランケットなんかによく使われている、糸をかけて端をかがるステッチです。
それで月の札も同じブランケットステッチにしようかな、と思ってやってみたんですけど、なんかイメージが違う。私の中では。
それでストレートステッチにしてみました。
よく「ブランケットに変えてみました」っておっしゃると、周りが「すごーい」っていう反応があったりするんですけど、ブランケットの方が実はやりやすかったりします。
糸を引っ掛けて針を進めていくんですけど、縫い目が揃いやすいんです。そして裏側も綺麗に揃う。
一見単純に見えるストレートステッチは、ちょっと斜めに進んだだけで縫い目が汚く見える。
まあ、それも可愛さ!ってしてしまえばいいんだけど。
それで今回は月の札は日本語と英語の2枚を合わせるので両側のステッチが綺麗じゃないといけない。となると、これが結構大変だったりします。
面だけ綺麗でもだめ。常に裏を意識しながら針を出す。これでも何度も抜き直して完成させました。
なので、見本はストレートステッチだけれど、苦手ならブランケットでもOKです、という案内は入れようと思います。
縫ったことがない方は、単純に見えるストレートステッチは簡単じゃん、って思われるかもしれないですけど、単純なものほど奥が深かったりする、という哲学も感じる手芸なのでした。(大袈裟?)
昨日、再び滋賀県立美術館の「みかたの多い美術館展」へ。「さわる知る 読む聞くあそぶ はなしあう 『うーん』と悩む 自分でつくる!」というコンセプトの展覧会。
今回は展示の最後に設けてあった「作ってみようエリア」の話。
私もお子さんの短期講習でいろいろ作ってもらうことがあるんですけど、割と素材はあんまり日常にはないだろうもの、私だから揃えられるものを用意します。
例えばB'z(あー、いつもビーズとかくとこちらに変換してしまう!ファンじゃないのに!!!)改めてビーズとかモールとかレースとか。
で、親ごさんとか「いつも家にないものがここまで揃っていて自由に使えるから、とても楽しそうー」って言ってもらえて、「はい。こういう仕事してますから家にいっぱいあるんですよ」と言ってました。ちょっと得意げに。
けれど、今回のこのコーナー、毛糸とか折り紙とか紙テープとか、とても単純な素材。あと色鉛筆。
土台の紙も、A4のちょっと厚めの紙。そこに自由にアートしてもらう。ただそれだけの用意なんです。
なのになのに、この作品たちのすごいことったら!!!
ただ、紙には2重の丸が書いてある!
ここかー、ここが結構ポイントなのか、も。
出来上がった作品は展示してもらえます。
ちょっと写真を撮ってきました。見てもらえれば、私が興奮していた理由がわかるはず!
昨日(今日かな)の夜は寝ずらかったです。
2年間ずっと頭を悩ませてきた問題が、再び勃発。
内容は書けないほどゲスいので、書ける範囲で書いてみようと、試みてます。日記ですから。
怒りが止まらくなる状態のある遠くに住む親族からの電話(時には直接)に怯え続けた日々が二年前。今でも家電のベルの音はトラウマになってます。外で鳴っていても嫌な気持ちになる。
その時していたのが、モーニングノート。
朝の1時間くらいかけてA4のノート3枚に、今の気持ちを書きまくってました。
思いをボールペンでノートに吐き出す吐き出す吐き出す。
恐怖というより、なぜ自分にこんなことが起きてしまったのが混乱していて、日記の内容は、幼少期に遡ってその理由を探す旅のようでした。疑問と分析。半年以上続いたノートは、8冊くらいになってたと思います。
その行為は、いろんなことを思い出した不思議な時間でした。懐かしくて泣きながら書いた日もありました。
一番思い出したのは、父方のおばあちゃんだったかもしれないです。
気が付かなかったけれど、実に私によく似た人だったんだなあと、それを60年経った今、やっと誇りに思えるようになった。
うちは表向きは普通の家族だったんですけど、ノートを書き続けていると、いろんなことを抱えてたんだと思いました。
まあ、特別のことはなくその時代によくある問題だったんですけど。
一旦、その相手の怒りが収まるようにいろんなことを譲与して、去年の夏終息したと思ってたんだけど甘かった。
根本的なその相手の抱えてる闇は存在し続けていて、何かに結びつけてまた攻撃してくる。
昨日は全く無防備で、ボティに強いアッパーカット。
多分ターゲットに私も入ったのかなあ。
あー、今夜は寝れないわー、と諦めて陽気な韓ドラをiPadで流す。
ただ、2年後の今の私は、前とはちょっと違うことに気がつきました。
メンタルはかなりやられたんですけど、割と冷静。俯瞰的。そして考える、分析と対策。
あの苦しんで書いて書いて書きまくった日々が、教えてくれてる気がします。
ちょっと、強くなった、というより合理的になった、って感じです、かね。