布絵本と布おもちゃの部屋
ちょっと離れていたnote(文章メインのSNS )、嬉しい感想が来たので久しぶりに書いてみようかとサイトを覗きました。
何か公募してないかなと探すと、文藝春秋が「未来のためにできること」のエッセイを募集してました。
そこで今年も、よりよい未来のためにあなたが考えていることや、実際に行動していることにまつわるエッセイを募集します。
大きな取り組みだけでなく身のまわりの小さなことでも、また、考えや目標だけでもかまいません。みなさんの考える「未来のために、今取り組むこと」について、自由にご投稿ください
(noteより)
https://note.com/info/n/na25a6947958a
文藝春秋に掲載されるチャンス!
これ、出そう!
居場所作りのための手芸!を伝えたい!!!
書き出すと、しょっぱなでつまづく。
タイトル、わかりづらいよなあ。
そしてダラダラ説明してしまう。
応募条件は1000文字以内。
これが結構大変なんです。
わかりやすく、この内なる熱を冷静に、読み手が興味を引くように書かなくっちゃ。
昨日は丸半日、これと格闘。かなり疲労しました。
まだ継続中。
載せようと思った写真。
やっぱわかりにくいよなあ。
まだまだ迷います。
締切は9月20日。
今週の滋賀リビング紙の「リビングの先生が教える おうちで作ろうプチレッスン」コーナーに、台所スポンジで作れるケーキの作り方を載せてます。
これ、6月の初めに撮影したんじゃないかな。
まだ足が折れて1ヶ月くらいだったから、足を引き摺りながら浜大津まで行った記憶があります。
(流石に電車乗り換えなので、松葉杖は置いて)
リビングの記者さんがノリノリでケーキを作ってくだって、ノリノリで私も教えた時間の後、私の写真を撮ってくださいました。
何枚か撮ってくださったんだけど、記者さんが選んでくれたのが、笑った写真。
ちょっと笑いすぎの気もするけど、実に私らしいと思います。
教室の雰囲気が伝わるって、選んでくださいました。
新たに10月から滋賀リビングカルチャーで講座を新設しました。
このところ、ずっと考えたきた居場所作りのための手芸、これをなんとか形にできないだろうか。
私がいなくても、広がっていくそんな形。
布おもちゃにきて下さった生徒さんが、「今高齢者の居場所作りに関わってるんですけど、せんせーの作品、みんなで作らせていただいてもいいでしょうか?」という声が2、3届いて、そっか、何か作りながらみんなでおしゃべりする時間って結構意味があるかも、と思い始めて約一年。
どんな形がいいか模索すること半年。
初めはリビングさんに「居場所作りのための手芸」っていう講座名で相談を持ちかけたんです。
でもわかりにくいですよね。
4月から開講しようかと思ったんですけど、とりあえず実践してみて考えた方がいいと思い、地域の居場所として「ぶらっと169ばんち」さん、そして若者支援waiwaiさんで今年の1月あたりからボランティア活動を始めました。
そこでわかったので、手作りのハードルは結構高い!ということ。
waiwaiさんは男の子たちはカットの段階まで手伝ってくれて、縫うとなるとダメみたい。
ぶらっとさんも思ったほど人が集まらない。本当に好きな人がポツポツ。
ただ、続けていく中で気まぐれに(ここは重要!)に作ってくれたりそういう機会が増えたのは事実だし、作ることで繋がった関係も蓄積された。
だからゼロではなく、ゆっくり小さな歩幅で考えていくのが大切。
そこでやっぱり形は変えても、簡単な手作り教室をしたいなあと思ったんです。
タイトルは変えて、カンタン⭐️かわいい布雑貨。
案内の文章の中にこそっと「お友達やコミュニティースペースでも作ってくださいね」と入れてもらいました。
この文章もリビングさんのスタッフさんとかなりラリーを繰り広げ、なんとか私のやりたい意図を汲み取ってもらって、いい文章にして下さったと思います。
8月の終わりに記事が出て、まだ申し込みはありません。
リビングさんに「申し込みがなかったらごめんなさい」と小さくなっていると「大丈夫です。長期戦でいきましょう」と言ってくださった。
せめても、と思い、今日インスタで宣伝ボタンを押しました。
つまり有料で拡散してもらいます。
となると、気力、体力、それに加えて金力か!
全国の生協さんがそうかどうかわからないんですけど、両親が昔住んでいた山口の生協さんと、今私の近くにある生協さんの建物の作りが似てるんですね。
6年前、母が足の手術で入院した時、父と1ヶ月2人で暮らしました。
父は認知症の初期で、いろんなことが少しずつできなくなってきた頃だけれど、私がわざわざ自分のためにいてくれるということの嬉しさと申し訳なさで、できるだけ自分でできることはやってやろうという気持ちが溢れていて、私が何か父のためにやってあげたという記憶より、父と楽しい時間を過ごしたという記憶しかありません。
父はとても優しくなって、今まではどこか行こうといっても「わしゃあ、いかん。お前らだけで行ってこい」というタイプの人だったんですけど、この時は「明日はどこへ行くんかい?」と嬉しそうに言ってたのを思い出します。
バスに乗って父と遠くのお店に行く時は、いつも小さい時に乗ったバスから小さい時に歩いた道を見ると、小さい時の父と私が見える、
そして横には年老いた父がいる、そんな不思議な時間でした。
これが近いうち思い出に変わるんだなあ、と思いながら。
生協も散歩がてら、毎日のように一緒に行きました。
父がペンチでよく休んでいました。
その後に認知症が進んで、父が生協に1人で行って帰れなくなった時、ここにポツンと座っていた父がかわいそうだった、と母が言ったことも含めて、この滋賀の私の行く生協のベンチを見ると、父が座っている面影が見えて切なくなります。
ポイントが300円の白い印刷の紙で出てきると、私が帰ってくると貯めておいたその紙でいいお寿司を買ってくれる、そんなことも思い出すんだなあ。
滋賀の生協のベンチにピクミンを座らせてみました。